こんなふわふわな食べ物がこの世に存在していいのだろうか。
それはシフォンケーキ。僕はこれを食べると、あまりのふわふわさに力が入らなくなり、腰が抜けそうになってしまいます。
「シフォン」(chiffon)とは英語で「柔らかい織物」を意味する言葉。このケーキにぴったりの良い名前ですね。

レシピを考案したのはアメリカのハリー・ベイカーさん。この方、保険外交員でありながら料理がとても上手だったのだとか。
シフォンケーキは大人気でしたが、ベイカーさんは誰にも作り方を明かさなかったため、長い間そのレシピは神秘のベールに包まれていました。

ベイカーさんが高齢になった時、レシピをゼネラルミルズという大手食品会社に売却し、そこで初めて製法が世に知れ渡りました。
ちなみにゼネラルミルズ社は今でもある非常に大きい会社で、アイスクリームのハーゲンダッツや、ハウス食品と提携してあの「とんがりコーン」を作った会社でもあります(すごい!)。
余談ですが、とんがりコーンを食べる時、ついつい指先にはめてしまうという欲望に逆らえないのは僕だけではないはず。

シフォンケーキは一体どうやって作るのか?
特徴はやはりあの「ふわもち」食感。これはメレンゲの泡立てはもちろんですが、材料に「サラダ油」と「水」を加えることで、一見相反する食感ともいうべき独特の食感が生まれます。
ただこの油と水の比率がシビアで、少し変えただけで焼き上がりにけっこう違いが出ます。
これは非常にユニークな製法で、普通ちょっと思いつかないですね。ベイカーさんにありがとうと言いたい。

僕とシフォンケーキとの出会いは小学生のころ。友達のお母さんが偶然僕と誕生日が同じで、それを知って僕に親近感を抱いたのか、誕生日にシフォンケーキをプレゼントしてくれたのです。
初めて食べた時、「わぁ〜!このケーキホワホワだぁ〜」と感動したことを覚えています。しかしこの時僕は、残念なことにシフォンケーキのことを「シャボンケーキ」と聞き違えてしまっていたのです。
これが後に悲劇を生むことになります。

後日、僕は母に「シャボンケーキ食べたい」とリクエストしてみました。けれど母は「何それ?」と怪訝そうな顔をするばかり。「あのホワホワなやつ」と説明してみましたが、たいていのケーキはホワホワなので伝わりません。
僕はさらに「ほら、真ん中に穴の空いた・・・」と懸命に説明しますが、母は「ああ、ドーナツ?」などとたわけたことを言う始末。
僕もさすがにドーナツは知っていたので、ドーナツが食べたければそう言います。どうして彼女にはそれがわからないのでしょうか。

この後も身振り手振りも交えて説明しましたが、どうしても伝わりません(ジェスチャーでシフォンケーキを伝えるのは不可能に近い)。
僕は「大人のくせになんでわかんねえんだよ」とガッカリし、結局親子の間に不要な溝が生まれただけで終わりました。
友達のお母さんも、自分のプレゼントがまさかこんなところで溝を作っていたとは、夢にも思っていなかったと思います。

僕がシフォンケーキと再会したのは大人になってから。たまたま入ったケーキ屋さんで、真ん中に穴の空いたあのケーキを見つけたのです。「これだ…!」ついに出会えた思い出のケーキに感動もひとしお。
ところがふと名前を見ると
「シフォンケーキ」
と書いてあるではありませんか。

しかしこの時点でもまだ僕は「おや、シャボンケーキのはずなのに、店の人が間違って書いたのかな?」と思っています。
冷静に考えてケーキ屋さんが売り物のケーキの名前を間違えるなんてことがあるだろうか?
それに気付いた僕は「これはもしかして俺の方が間違ってるんじゃ…!?」と思い至ります。
「はい、そうです。間違っていたのは君の方です」

天の声が頭に響きました。
なんということでしょう。雷に打たれたような衝撃が全身を突き抜けるとともに、これまで止まっていた時が動き出した、そう感じました。
母よ、あの時はすまなかった。シャボンケーキじゃなかったんだね。
10年以上の時を経て開眼。悟りを開いたお坊さんはこんな気持ちなのでしょうか。

シフォンケーキは愚かな僕に教えてくれました。それは「たとえ確信を持っていることでも、実は間違えていることがあるものだ」ということを。だからこそ「ひょっとして自分の方が間違ってるかも」と、一度振り返り疑ってみることは大事だな、と強く思いました。
ほんの少し僕を成長させてくれたシフォンケーキよ、ありがとう。そしてあの日の幻のシャボンケーキよ、さようなら。